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学生時代のヨーロッパ放浪の旅(8) 「アンネフランクの家」

テーマ:ブログ
アムステルダム観光で、覚えているのは、



「アンネフランクの家」と、ゴッホが描いた「アルルの跳ね橋」です。



「アンネフランクの家」は、第2次世界大戦中、アンネ・フランク一家がナチスから隠れ住み2年間を過ごしました。

有名な「アンネの日記」の舞台は記念館として公開されています。






その当時、3階の小部屋近くには、各国語の解説が電話機みたいなもので

聞けました。日本語の電話機もあり、解説を聞いて感慨に浸りました。




「裕福なドイツ系ユダヤ人一家の末娘として生まれたアンネ・フランクは、ナチスによるユダヤ人迫害を恐れ、一家とともにオランダに移住した。しばらくは比較的安穏な日々が続いたが、1940年5月10日、中立を宣言していたオランダにドイツ軍が侵攻してきた。四日後の14日には全域を占領し、国内ではユダヤ人に対する圧力が強まっていった。

ユダヤ人狩りが頻繁に行われはじめ、危機的状況が色濃くなってくると、フランク一家は密かに安全な場所へ移り住む準備に取りかかった。1942年7月5日労働キャンプへの召集令状が届いたことを契機に、翌6日にはオットーの職場事務所の三階と四階を隠れ家にした篭城生活をスタートさせる。さらに同僚のファン・ペルス夫妻と息子のペーター、歯科医のプフェファーが加わり、この共同体は最終的に8人となった。

1944年、この隠れ家がゲシュタポ(ナチスの秘密警察)に発見され、アンネ・フランクはアウシュビッツ強制収容所に送られてしまう。約2年間続いた家での生活は終わりを告げた。」







昼間は、二階で働く人がいたため、全員がベットの上にあがり

けっして、足を床につかなかったそうです。

8人が息を殺して、何時間も絶えているんです。。。

それでも最後は、発見されてしまいます。。。




50日間のヨーロッパ旅行から帰国後、「アンネの日記」の映画版を見て、

戦争の悲惨さ、ユダヤ人迫害の恐ろしさを、非常に認識した事を覚えています。

オードリー・ヘップバーンは、この映画の出演依頼が来ましたが、

あまりにも境遇が似ていて、断ったそうです。




アムステルダムに行ったら是非、訪れてください。



本日はここまで!!
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