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北京旅行(1)

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お盆を利用して,北京に行きました。
8月13日,セントレアを夜9時40分に出るアラブの「エティハド」という飛行機です。
セントレアに夜の7時40分に着き,ティーエスキュ-ブリックのラウンジでキリンのレモンハイを飲みながらくつろぎました。二杯も飲みました。タダ酒はうまい(^O^)/
機内は,アラブの飛行機らしく汗くさいf^_^;
座席も狭く,圧迫感は最高でした(-.-;)
機内では,アラブの飛行機でしたが,アルコールが出てホットしました(^O^)
赤ワインを二杯,缶ビ-ル一本…少し飲み過ぎかな!?f^_^;
北京到着は,深夜0:05。
到着後,タクシー乗り場へ!
タクシーに乗り,運転手にホテルの住所を教えると,「知らない!」と乗車拒否!!(-_-#)
望京のホリデーインを予約していましたが,「望京」は,北京市内でも,かなり空港よりですから嫌なのでしょう。
車を降りて,タクシーの整理をしている若い男性に文句を言うと,そのタクシードライバーに注意するではないか!!!(?_?)
ドライバーは渋々,ホテルに電話して場所の確認をして,出発しました。

北京オリンピックから,マナーの徹底をしているのかなあ?
夜中からいきなり試練?を受けました(^O^)
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小谷城跡 散策

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8月5日(金)、午後より長浜周辺を下見しました。



来る11月12日(土)、校友会主催で、長浜・小谷城を観光するためです。



バスを借り切り、50名前後を招待します。




下見

まずは、「浅井・江のドラマ館」を拝観。







ドラマで使われて衣装や映像、パネルなど江の視点から紹介。



続いて、、「小谷・江のふるさと館」を拝観。







浅井三姉妹の生涯や三姉妹が暮らした小谷城を映像や展示で紹介。



その後、小谷城バスで5分。



番所跡から約1時間15分ほどかけて、ガイドさんの解説を聞きながら



小谷城を散策しました。







途中、琵琶湖をのぞむ場所から、竹生島を見ました。



お市と長政が琵琶湖を見て、愛を語り合った場所です。



その後、小谷城戦国歴史資料館に行き、伊吹さんと言う人から



三姉妹に繋がる人物関係を、詳しい解説を交えながら説明を受けました。




その後、長浜市内に戻って、PM5:30から居酒屋一杯!!



その後、スナックへ!!



10時過ぎまで長浜の夜を楽しみました。。。

学生時代のヨーロッパ放浪の旅(8) 「アンネフランクの家」

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アムステルダム観光で、覚えているのは、



「アンネフランクの家」と、ゴッホが描いた「アルルの跳ね橋」です。



「アンネフランクの家」は、第2次世界大戦中、アンネ・フランク一家がナチスから隠れ住み2年間を過ごしました。

有名な「アンネの日記」の舞台は記念館として公開されています。






その当時、3階の小部屋近くには、各国語の解説が電話機みたいなもので

聞けました。日本語の電話機もあり、解説を聞いて感慨に浸りました。




「裕福なドイツ系ユダヤ人一家の末娘として生まれたアンネ・フランクは、ナチスによるユダヤ人迫害を恐れ、一家とともにオランダに移住した。しばらくは比較的安穏な日々が続いたが、1940年5月10日、中立を宣言していたオランダにドイツ軍が侵攻してきた。四日後の14日には全域を占領し、国内ではユダヤ人に対する圧力が強まっていった。

ユダヤ人狩りが頻繁に行われはじめ、危機的状況が色濃くなってくると、フランク一家は密かに安全な場所へ移り住む準備に取りかかった。1942年7月5日労働キャンプへの召集令状が届いたことを契機に、翌6日にはオットーの職場事務所の三階と四階を隠れ家にした篭城生活をスタートさせる。さらに同僚のファン・ペルス夫妻と息子のペーター、歯科医のプフェファーが加わり、この共同体は最終的に8人となった。

1944年、この隠れ家がゲシュタポ(ナチスの秘密警察)に発見され、アンネ・フランクはアウシュビッツ強制収容所に送られてしまう。約2年間続いた家での生活は終わりを告げた。」







昼間は、二階で働く人がいたため、全員がベットの上にあがり

けっして、足を床につかなかったそうです。

8人が息を殺して、何時間も絶えているんです。。。

それでも最後は、発見されてしまいます。。。




50日間のヨーロッパ旅行から帰国後、「アンネの日記」の映画版を見て、

戦争の悲惨さ、ユダヤ人迫害の恐ろしさを、非常に認識した事を覚えています。

オードリー・ヘップバーンは、この映画の出演依頼が来ましたが、

あまりにも境遇が似ていて、断ったそうです。




アムステルダムに行ったら是非、訪れてください。



本日はここまで!!

別府研修(立命館アジア太平洋大学)

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6月8~9日、大分県・別府を研修で訪れました。



行きは京都駅より「のぞみ」で小倉まで。



乗り換えて、特急ソニックに乗り、別府へ!!



別府からバスに乗り、立命館アジア太平洋大学(APU)を視察しました。










昼食は、出迎えてくれた留学生達と学食でお話しながら楽しい時間でした。








また、校舎見学はもちろん、APハウスと言う学生寮(約1100名)も見学できました。






山の高台にあり、見晴らしの良さそうなところでしたが、あいにく霧で何も見えず

残念でした。



バスかタクシーしかこのキャンパスに行く手段が無く、

学生たちは、バスに乗り遅れると、乗り合いでタクシーを利用して寮まで帰るそうです。




学生時代を思い出しながらの視察でした!!

学生時代のヨーロッパ放浪の旅(7) アムステルダム編

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アムステルダム駅に着き、両替を済ませ、「地球の歩き方」に書いてあった

駅前の安ホテルを探しました。





駅を背に右側に100Mも行かない所に

私の目指す「ボロホテル」がありました。

確か、4500円ぐらいだったと思います。



2階がロービーで、部屋は3階。

チェックインして部屋に入りましたが、どうにも汚い!!

2~3日の我慢と思い、部屋に荷物を置きました。



しかし、ここは異国の地、町に着いたらまず、泊まるとこ探しをして

「安住の地」を見つけてからしか、観光は出来ません。



ようやく落ち着いた所で、観光開始をしました。




アムステルダムでは、街中のコーヒーショップで

ごく当たり前にマリファナやハシシなどの麻薬が販売されています。





イギリスの高校生は、卒業旅行と称して、オランダに行って

ソフトドラッグを吸いにくる、と言う事を、今後、宿泊するユースホステルで

日本人から聞きました。



ドラッグを吸う街ですから、

夜の「飾り窓」も駅の近くにあります。

日本でこんな所を知りませんでしたから、

夕方から、夜にかけて、2往復ぐらいしました。(^_^)v





100Mはこんな風景でした。(^O^)



手招きをする女性もいれば、「アジア人は相手にしない」

という態度で、無視する女性もいました。



本日はここまで!!
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