続〔四〕能登半島兄貴の築いた農場最終回
あれから半世紀雑草のように強くたくましく生きてきて踏まれても踏まれても伸びようとする、過酷な自然と闘いながら、開拓時代は電気はなくランプの明かりで暮らし,自給自足の生活、食べるのがやっと服はぼろぼろ髪は伸び放題、乞食みたいな格好で働いて来たという、そんな苦労話を聞かされる
石川県能登町 武籐(たけとう)農園
続(Ⅲ)能登半島農業一筋にこだわり続けて
ほぼ中心に住まいとお店。社員さんの詰め所等あり
ブルーベリー狩りに使うお店
果てしなくづづく畑、石川県1番の12町歩畑面積を誇る遠くに見える見える森がかつてここにもあり木を倒し石をかたずけ道を作り鍬ひとつで切り開いていったのです
これだけ広大な畑がどこを見渡してもきれいです。整備が行き届く、皆さん見学に行ってみてください。たい肥倉庫は300坪超えるくらいあり大型トラックターでの作業,機械はいつも整備されてピカピカ。全国から見学者訪れる。
続能登半島兄貴の農場
実家は熊本天草9人兄弟次男、60年前に能登半島へ農業開拓者として移り住む、正面車の前にあるのが当時開墾時代に最初建てた家この家も何年もかかって建てたという、お風呂は石を積み上げドラムカン木を山に採りに行き沸かす。水はないから井戸を堀、ツルハシとスコップで持ち、嫁さんと二人して、掘っていった、人里はなれた山の中、冬は豪雪地帯厳しい自然が人を拒むそんな環境の中25人、入植し残ったのが兄貴ただ一人、学校は分校があり先生一人に子供たちが何人かいたとゆう、みんなが去っていきやがて廃校に車、ラジオがない時代のことです。
「兄弟会」次男が暮らす能登半島へ
能登半島 、長くどこまでも続くサルビア街道一路兄貴宅へ
自宅到着これより農場へ
畑はたばこ、ブルーベリー、野菜、の収穫最盛期大忙し
粒が大きくおいしい、ブルーベリー狩りも始まっていました。
畑は何処までも続く
畑のみ12町歩の広さを持つ、大農家です。