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田中正造語録から考えるフクシマ。
テーマ:ブログ
2011/11/18 10:58
田中正造語録から考えるフクシマ。
国策被害「足尾」と酷似、見えない毒・情報隠し。
東京新聞での興味深いコラムです。
以下引用。
東京電力福島原発事故後、足尾銅山鉱毒事件の展示施設に足を運ぶ人が増えているという。
鉱毒と放射能の違いはあれ、それを撒いた加害企業は政府と親密で、被害住民は塗炭の苦しみを強いられた。1世紀以上の時間を隔てながらも、両者は酷似している。
足尾事件で闘いの先頭に立った政治家、田中正造は命を賭けて政府を糾弾した。
その言葉と歩みはいま、私たちに何を伝えるのか。
「己の愚を知れば即ち愚にあらず、己の愚なることを知らなければ是が真の愚である。民を殺すは国家を殺すなり、法を蔑にするは国家を蔑にするなり、人が自ら国を殺すのである」
(「田中正造之生涯」=大空社より。原文は旧字)
足尾鉱毒事件を告発した政治家田中正造は一九〇〇(明治三十三)年二月十七日、衆議院でこう大演説をぶった。
その四日前、鉱毒被害に苦しむ農民たち約二千五百人が警官隊と群馬県佐貫村(現在の明和町)で衝突。
この「川俣事件」について、政府に抗議した。
〇一年に議員を辞職し、被害住民救済を訴えるため、明治天皇に直訴を試みたが、失敗。
その後も渡良瀬川の洪水防止を名目とした遊水地建設の反対活動を続けたが、一三年に七十一歳の生涯を閉じた。
当時、政府が鉱毒被害封じ込めを図ったのは銅生産が「国策」だったため。
原子力発電を国策として推進し、大事故後も再稼働方針を揺るがさない現代と共通する。
「世の中に訴へても感じないと云ふのは、一つは此問題が無経験問題であり又た目に見えないからと云ふ不幸もございませう」(同)
「先づ鉱毒で植物が枯れる。魚が取れぬ。人の生命が縮まる」
「銅山に毒があれば動植物に害を与へると云ふことは古来学者の定論で、農商務の官吏が皆正直でさへあれば其れで宜しいのである」
「銅山の毒が何に障るかと云ふ位の事は分かり切つて居るのに、農商務省が分からぬと云ふは不思議千万」(同)
この言葉はすべての情報を開示していない現在の原子力安全・保安院や東電にも当てはまる。
(略)
閉山した足尾銅山周辺では、いまも少量の鉱毒が流出し続けている。
今年三月十三日、地元紙に一つの記事が載った。栃木県日光市にある古河機械金属足尾事業所の源五郎沢堆積場が、東日本大震災の地震の余波とみられる地滑りで崩れ渡良瀬川に有害物質が流入したという記事だ。
(略)
NPO法人・足尾鉱毒事件田中正造記念館の島野薫理事は
「堆積場や千二百キロに及ぶ廃坑の坑道からも、有害物質が流れ続けている。足尾銅山の公害は、いまだに終わっていない」と話す。
田中正造の研究を続ける熊本大の小松裕教授(日本近代史・思想史)は
「足尾鉱毒事件と今回の原発事故の構図があまりにも似ていて、本当にびっくりした」と語る。約百年前の正造の言葉を伝えたくて、九月に「真の文明は人を殺さず」(小学館)を出版した。
(略)
政府方針の裏付けしかしない”御用学者”たちもいた。
足尾鉱毒事件では「銅山から出るのだから銅中毒に違いない」という説が主流だった。
その中で、帝国大学医科大学(現在の東大医学部)の林春雄助教授がただ一人、「複合汚染」を疑った。
(略)
ところが、林助教授は複合汚染説を提唱した直後、文部省(当時)にドイツ留学を命じられた。
(略)
北海道で反原発活動を続ける哲学者、花崎皋平さんは「日本社会における倫理観の欠如」を問題の背景とみる。
「唯一の行動規範は経済による欲望の充足。欲望のまま、科学技術で何でもやっていいと国策で突き進み、足尾鉱毒事件や福島原発事故を引き起こした」
原発は半減期が数万年もの放射性物質を生む。
放射性廃棄物の処理技術は確立していない。
潜在的な核武装でもある―。
ドイツ政府は宗教者が加わった「倫理委員会」でこうした論議を重ね、脱原発にかじを切った。
「現段階では、人間には原子力は扱えない。いくら技術があってもクローン人間をつくってよいのかという話と同じで、倫理的な観点が必要」
と花崎さんは話し、正造の残した言葉を引いた。
「真の文明は山を荒さず 川を荒さず 村を破らず 人を殺さざるべし」(田中正造の日記)
(2011.11.9東京新聞『こちら特報部』より抜粋)
国策被害「足尾」と酷似、見えない毒・情報隠し。
東京新聞での興味深いコラムです。
以下引用。
東京電力福島原発事故後、足尾銅山鉱毒事件の展示施設に足を運ぶ人が増えているという。
鉱毒と放射能の違いはあれ、それを撒いた加害企業は政府と親密で、被害住民は塗炭の苦しみを強いられた。1世紀以上の時間を隔てながらも、両者は酷似している。
足尾事件で闘いの先頭に立った政治家、田中正造は命を賭けて政府を糾弾した。
その言葉と歩みはいま、私たちに何を伝えるのか。
「己の愚を知れば即ち愚にあらず、己の愚なることを知らなければ是が真の愚である。民を殺すは国家を殺すなり、法を蔑にするは国家を蔑にするなり、人が自ら国を殺すのである」
(「田中正造之生涯」=大空社より。原文は旧字)
足尾鉱毒事件を告発した政治家田中正造は一九〇〇(明治三十三)年二月十七日、衆議院でこう大演説をぶった。
その四日前、鉱毒被害に苦しむ農民たち約二千五百人が警官隊と群馬県佐貫村(現在の明和町)で衝突。
この「川俣事件」について、政府に抗議した。
〇一年に議員を辞職し、被害住民救済を訴えるため、明治天皇に直訴を試みたが、失敗。
その後も渡良瀬川の洪水防止を名目とした遊水地建設の反対活動を続けたが、一三年に七十一歳の生涯を閉じた。
当時、政府が鉱毒被害封じ込めを図ったのは銅生産が「国策」だったため。
原子力発電を国策として推進し、大事故後も再稼働方針を揺るがさない現代と共通する。
「世の中に訴へても感じないと云ふのは、一つは此問題が無経験問題であり又た目に見えないからと云ふ不幸もございませう」(同)
「先づ鉱毒で植物が枯れる。魚が取れぬ。人の生命が縮まる」
「銅山に毒があれば動植物に害を与へると云ふことは古来学者の定論で、農商務の官吏が皆正直でさへあれば其れで宜しいのである」
「銅山の毒が何に障るかと云ふ位の事は分かり切つて居るのに、農商務省が分からぬと云ふは不思議千万」(同)
この言葉はすべての情報を開示していない現在の原子力安全・保安院や東電にも当てはまる。
(略)
閉山した足尾銅山周辺では、いまも少量の鉱毒が流出し続けている。
今年三月十三日、地元紙に一つの記事が載った。栃木県日光市にある古河機械金属足尾事業所の源五郎沢堆積場が、東日本大震災の地震の余波とみられる地滑りで崩れ渡良瀬川に有害物質が流入したという記事だ。
(略)
NPO法人・足尾鉱毒事件田中正造記念館の島野薫理事は
「堆積場や千二百キロに及ぶ廃坑の坑道からも、有害物質が流れ続けている。足尾銅山の公害は、いまだに終わっていない」と話す。
田中正造の研究を続ける熊本大の小松裕教授(日本近代史・思想史)は
「足尾鉱毒事件と今回の原発事故の構図があまりにも似ていて、本当にびっくりした」と語る。約百年前の正造の言葉を伝えたくて、九月に「真の文明は人を殺さず」(小学館)を出版した。
(略)
政府方針の裏付けしかしない”御用学者”たちもいた。
足尾鉱毒事件では「銅山から出るのだから銅中毒に違いない」という説が主流だった。
その中で、帝国大学医科大学(現在の東大医学部)の林春雄助教授がただ一人、「複合汚染」を疑った。
(略)
ところが、林助教授は複合汚染説を提唱した直後、文部省(当時)にドイツ留学を命じられた。
(略)
北海道で反原発活動を続ける哲学者、花崎皋平さんは「日本社会における倫理観の欠如」を問題の背景とみる。
「唯一の行動規範は経済による欲望の充足。欲望のまま、科学技術で何でもやっていいと国策で突き進み、足尾鉱毒事件や福島原発事故を引き起こした」
原発は半減期が数万年もの放射性物質を生む。
放射性廃棄物の処理技術は確立していない。
潜在的な核武装でもある―。
ドイツ政府は宗教者が加わった「倫理委員会」でこうした論議を重ね、脱原発にかじを切った。
「現段階では、人間には原子力は扱えない。いくら技術があってもクローン人間をつくってよいのかという話と同じで、倫理的な観点が必要」
と花崎さんは話し、正造の残した言葉を引いた。
「真の文明は山を荒さず 川を荒さず 村を破らず 人を殺さざるべし」(田中正造の日記)
(2011.11.9東京新聞『こちら特報部』より抜粋)