ドレスコードについて。
昨日、市内のお城が目の前に見える高級なホテルのレストランに行った。
僕と相方はその前に博物館に寄ったままの格好で、いわゆるラフスタイルだった。レストランの受付をしてくれたのは20代のしっかりした男の子だった。
「大変申し訳ありませんが、ただいまお席のご用意が致しかねますので申し訳ありませんが・・・」
つまり、我々ふたりの格好がラフすぎたのが彼らのドレスコードにひっかかったのだ。
仕方がないので1階にあるワタミで軽くお茶を濁してその日は終わった。
たしかに、暗黙の了解としてのドレスコードは存在する。また、そのことに依存はない。人々は暑い日もネクタイにスーツという格好で日々営業に勤しんでいるのは私も知っている。それは何より、相手に対しての礼儀であり自分に対しての寛容でもある。社会的に世界的に通用している。
ときどきこのドレスコードをぶち破る人が現れる。
たとえば林檎のマークで最近有名なひと。彼は一般的な新商品の発表会やなんかにジーンズとTシャツで舞台に立つ。けっしてスーツを買うお金がないわけじゃないと思う。それが彼のひとつのスタイルだと彼が世間に認めさたのだ。
そうしてみてみれば、彼のプレゼンは大変魅惑的で録画されたものでも私を魅了する。彼のドレスにはいっさい関心は向かわない。
こう言ったひとつのいわゆる「突破力」をもったひとに私は成りたい。
決して、昔にあつらえたスーツが入らなくなったわけではなく、また、新しくはるやまでスーツを買うお金がないわけでもない。ただ、人としての倒れ方の姿勢としてそういったものに魅力を感じるというだけの話でありますです。 (M春樹風味)
コメント
-
二坂2010/10/05 10:19うーん、検討してみよか。
トラックバック
http://blog.niwablo.jp/wrl/trackback/69618