街並みがキレイになってきました。
今日この頃。
とくに、分譲地あたりを間違って入り込んだりしたら各家々が競うようにクリスマス用でしょうか、LEDの飾付けをしていたりします。気持ちはよく分かります。私も以前に同じように(その当時はまだLEDはなかったのですが)電飾を買い込んでピカピカさしてはよろこんで、家に入って「はて?家の中からはキレイなぴかぴかは見えない」と少しく悩みました。
まあ、年の瀬。日経平均もすこし上向き加減でどこまでいくかは分かりませんが調子は悪くないです。
と、そんな時に私のPCが壊れてしまいました。電源が入らないのです。素人考えでたぶんボタン電池がなくなったのか?くらいに考えて懇意にしているPCショップに持っていくと「それはたぶんハードディスクが壊れたんでしょう、という見立て。確かに、3つくらい動いていたプログラムが終了しないので電源を抜き強制終了させたことはハードにとっては”ハード”なできごとでしょう。結構今までも何回か同じようにやっていました。
私のとことにきて3年。まあ、ハードディスクの寿命といえば寿命かな?幸いバックアップは先日とってあるし必要なソフトはディスクで保管してある。あとはWebからインストしなおせば、、、と、なかば覚悟して、「じゃあ、ハードを入れ替えればいいのかな?」とたずねると、「リカバリーディスクがないとだめじゃないですか」とのつれない返事。
そういえば、購入時に5枚ほどのディスクを作った覚えはあるものの、それがいまどこにあるかの記憶はまったくない。まずい。
なにかと物入りの師走。安くなったとはいえほいほいとPCを新しく買う余裕は今の私にはない。(でも家電量販店ヤマダ電機に行ったときに中古のPCが1万円台でWinXP付で売っていたのには驚いた)
ついてないな。とりあえず、iPhoneがあればいいか? としばらく考えて このブログも始めの頃はiPhoneからだったし、最近はWebで簡単な調べ物をするくらいならPCは使わなくなっている。あえて使うとすればWeb上の資料をプリントアウトするときかiTuneをバージョンアップするときくらいで、普段はフォトフレーム代わりに写真を見るか音楽を聴くくらいしか使っていない。
だめでもともと。のつもりで家に持ち帰ってマウスを繋ぎプリンタを繋ぎ電源ジャグを背面に差し込んでみたところどうもスカスカする。よーくよーく診たところそこはLANケーブルの差込口で電源ジャックはその隣であった。
PCも違う場所に繋がれてさぞ気持ちが悪かったことだろう。その後しばらくしてPCは無事復活した。
なにごとも確認・目視が大切、という教訓でした。
インドの友人・・ベルギーのライバル?
先日、ビッグ・アイで開催されたお祭りにインドの友人をたずねて出かけていった。意外と大勢のお客が集まっていた。彼とはそのお祭りの2週間前のお祭りで知り合った。
そのとき、「チャイ」と言う飲み物をいただきながらいろいろとメイドインインドの産品が展示販売してあって、そういうのが嫌いでない私はチャイのノーマル味一袋とシナモンの樹皮を細かくしたものを一瓶、あとシナモンの樹皮を少し粗くしたものをひとパッケージ(サランラップにくるんだもの)を求めた。
麝香はないの?とたずねたがその時はなかった。もっとアルカロイドについて聞きたいところであったが、あまり興味を惹起しすぎると「らもさん」になってしまいそうなので自重しふたたび「チャイ」をいただいてファーストコンタクトは無事終わった。
ラオスに調査で出かけたときも現地には不思議な飲み物や香料がたくさんあった。ラオスの郡部ではたばこの値段が高いらしく喫煙者はほとんどみかけなかったが、売店には一応国産のものとおもわれるのが売っていた。健康云々よりも経済が効果的な事例だと思う。
まあ、考えてみれば日頃飲んでいる「お茶」もアルカロイドなどのお茶の葉の成分を水抽出しているわけで、昔は「薬」としてごく限られた人たちが飲んでいたはずで、今では特段珍しいことでもややこしいことでもない。
以前は薬や化粧品に使われていたもので今使用禁止・または使わない方向で業界が通達や自主規制しているものはたくさんある。硫化水銀は昔、不老長寿の薬や銅鏡の研磨剤に使われていたそうである。また化粧品(伊勢おしろい)としても使われていた。その硫化水銀を産出するところに丹生(にゅう)と名のつくところが多い。
世界遺産に登録されている丹生都比売神社も そのひとつらしい。
明治初年の神仏分離まえには丹生都比売神社と高野山は1200年も相和していたという話をきいた。 仏が伝来(538年?)してしばらくして土着の神と折り合って1200年、明治に元号が変わって中断し150年くらい後の最近、また相和したらしい。全体から眺めれば10分の1の期間、形式上分離していたことになるのだろうか?いきの長い話である。さすが世界遺産!
そんな時に必然的にベルギーの好敵手がみつかった。ベルギーといえば1000万人くらいのフランスの北にある国である。残念ながらベルギーのひとと直接話をした記憶はない。が、チャンスがあれば積極的に話しかけてみようと思う。
熊野古道とサンティアゴ・デ・コンポステーラ
港町のタウン・マガジン 第4号に明戸さんが「歩く観光、船、鉄道、巡礼・・・御坊」というタイトルで書いている文章で「熊野古道とサンティアゴ・デ・コンポステーラ」という箇所があった。
寺内町の古い町並を歩くのもいいが、この御坊の町には熊野古道の京都・大阪と熊野を結ぶ紀伊路が通っている。熊野古道は世界遺産になっているが、道が世界遺産になっているもう1つの例として サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路がある。熊野古道とは姉妹街道になっていて、千年以上の歴史を持つこの聖地への道を、今もフランスからスペインのピレネー山脈を越えて年間約10万人が聖地を目指して踏むという。2010年の今年は大祭年だからもっと数は増える。スペインに入ると、巡礼事務所があり、名前を登録し、巡礼者の証明となる手帳を受け取り、八百キロの道のりを目的地に向かって歩き出す。途中、巡礼道にある教会や宿泊施設、バルなどでスタンプを押してもらいながら旅をすすむのだそうだ。
巡礼路のルートは太い道から細い道、公園の中や牧草地を通ることもあるのが面白い。 サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路のシンボルはホタテ貝である。遺骸を祀っている聖ヤコブに由来しているが、道しるべにもこのマークが使われている。四国八十八ヶ所のお遍路もそうだが、熊野古道にも全ルート共通の道しるべはない。
以下、おもしろい文章が続いているのですが私のタイピング能力では定時にアップできそうにないのでこの辺でやめておきます。
なぜ、このお題に今回なったかと言いますとたまたま今日出席したセミナーの前座話に「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」というスペインの道の話がありまして。
で、たまたま前日、日高港を見学に行ったときにもらってきた冊子にこのお話が載っていた。という偶然がたまたま一致したからです。あとは自分用に忘れないために書きました。
ぐるぐる
大阪には「ぐるぐる橋」、もしくは「開運橋」といわれている橋があります。
正式には「千本松大橋」 ( http://portal.nifty.com/2010/11/06/a/ )というそうです。
Webの写真をみていただくとわかるように2重まわって対岸にわたりまた、2重まわって此花区あたりにつく。という構造上、また命名上たいへん興味がそそられる橋です。
もちろん大阪は川の都と呼ばれていますので橋はたくさんあります。その下には最近綺麗になったと評判の川が流れています。
柳家小さん師匠か、桂米朝師匠のまくらにありました。
昔、川を挟んで二つの地区をまめにぐるぐる回って商いをする人は「運が開ける」「開運する」、ということでこの橋を頻繁に渡ることが商売繁盛につながる、ということでぐるぐる橋を「開運」橋。 国は千本松大橋と命名したかもしれませんが、やはりここは落語の勝ちではないでせうか。
たとえ、1重でもぐるぐるしたいものです。
ところで、その商都大大阪で先日10日(水)、16時頃に、P社に商談で出向いたときに対応していただいた方の報告を受け総務部あたりのひとから私が普段研修などで大変お世話になっている(株)WRLのWebから私の照会・封じ込めを主たる目的と思われる問い合わせがあって、私は間接的に二坂知事から叱咤・激励をうけたかっこうになりました。
道々考えながら42号線を南下して、有田あたりでしかたなく担当者に謝罪の携帯電話を掛けたほうが良い、と思いつきました。
で、動いている車からでは危険なので東燃の壁を5分ほど走ったどんつきに車を止め電話しました。3本の電話でなんとか自体を収拾できたと判断し、その日は帰りました。
がしかし、家に帰っても若干の不安はあるもので、なんといってもP社の子会社ですから。
念のために、彼らが 私に対しておこなったのと同じ手法でP社のHPをひらいて「お問い合わせ」欄に事実関係と私の思いを下のような漢字で書いてみました。
カテゴリー 電池応用商品
内容 その他
品番
ご意見・ご質問
先日11月11日(水)16時頃、貴社の○○地区に、お邪魔して名刺を渡させていただいたものです。
残念ながら、その後私の渡しました名刺の連絡先ではなく、私がお世話のなっているWRL(社長:知事)のWebを介して私の照会・もしくは県政をなされまして、私はきつく担当のかたから注意・叱責。
つまり、和歌山県知事から間接的に叱られたわけで、これは貴社が和歌山と相対することになりはすまいかと思いまして、些細なこととは思いますがご報告させて頂きます。
かしこ
日曜日はドライブしよ。
真国宮
と、いう地所がある。
あまり知られては居ないが、野上・紀美野あたりにある。道はあまりよくは無い。今も工事している。
それでも、人は生活をしているわけで道がないと生活がしずらい、と思う。山はトンネルで谷は橋で繋いでいくしかない。
がしかし、そんな状況だった260年くらい昔の隣接した地域で、自ら創製した麻酔薬「通仙散」をもちいて、世界で始めての(この話はシーボルトの末裔のヨーロッパ人の貴族にあたる方から間接的に聞いた覚えがある)全身麻酔による乳がん摘出手術を成功させた華岡青洲が生誕し、今年で250年を迎えた。彼はてっきり大阪に留学していたと思っていたが、京都のようだった。詳しくはWebでしらべてください。
紀ノ川市ではこの世界的偉人の「実績」を振り返るとともに、今後も末永く顕彰するため、10月23日(土)の誕生日を中心にさまざまな記念事業を実施しています。和歌山県立医科大学の楽章に「マンダラゲの華に「医」の字が配された」デザインが使用されている。
最優秀賞 「麻酔薬 世に広めた 青洲は 誇り高き 紀の川の華」木村 紀ノ川市。(中和印刷 3D)
そんな真国で「世界民族祭」の2回目か3回目がこの週末開催されている。
デジタル掛け軸(D-K LIVE)、今、そして 未来の子供たちへ。
この祭典は、和歌山県紀美野町真国(まくに)に、世界の民族が集まり、芸術、音楽、舞踏、食、科学・技術などを通して 異文化間、世代間などの交流を測り、お互いの民族への理解を深めることと、こんな時勢だからこそ主催する側の日本人としての由を確認することを目的としているらしい。
11月7日 (日) 10:00~
世界民族祭 in 真国 (紀美野町)
韓国、ペルー、インド、スコットランド、ブラジル、ポーランド、ハワイ、そのほか。さまざまな国・地域が参加予定。
たま駅長ブース、着物気付ブース、各国の食の紹介ブース、お茶会ブース、地区住民による美味しいブース、ほか他。
11月6日 (土) 16:00~ 会場;りら創造芸術高等専修学校
デジタル掛け軸 長谷川氏の音楽と映像がおりなす幻想空間 再上陸。
音楽と舞踏の夕べ。
11月6日 (土) 前夜祭 13:00-15:30 会場、真国丹生神社境内
高野西街道 伝統芸能まつり in 紀美野町) 同時開催
野上八幡宮獅子舞、梅中傘踊り、真国御田の舞、龍光寺纏太鼓、四郷千両踊り、大窪の笠踊、ほか。
主催:世界民族祭 in 真国(紀美野町)実行委員会
後援:和歌山県、和歌山県教育委員会、紀美野町、
協力:和歌山電鉄株式会社、和歌山県立海南高校大成校舎、和歌山県立海南高校美里分校、きのくに子どもの村学園、りら創造芸術高等専修学校、野上八幡宮、真国丹生神社、真国地区民の方々。
昨年は2000人超の方が世界中から集まった、らしい。今回は天候にも恵まれたぶんもっと・・・。