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脱原発世界会議に参加して
テーマ:ブログ
2012/01/23 11:51
脱原発世界会議に参加して
参加されたかたの手記。
1月14日15日にパシフィコ横浜で行われた脱原発世界会議は、日本各地のさまざまなレベルの脱原発運動が一か所に集まり、そこに世界各国各地の脱・反原発運動・グループに結集してもらう初めての試みでした。それは大成功だったと思います。
プログラムに紹介されている登壇者(メインホールで挨拶した人)だけでも海外から約50人、国内から約50人います。その人たちが初日の開会式、2日目の閉会式で挨拶しました。メインホールには1000人入りますが、いつも満員でした。
私は開会式、閉会式には出席できませんでしたが、一度だけメインホールで行われた集会に出席しました。それは、「首長会議:地域発・原発に頼らない社会のつくりかた」というセッションで、脱原発に取り組んでいる市区村長8人が発言しました。
司会は山本コータローさんでした。桜井勝延 南相馬市長、井戸川克隆 双葉町町長、保坂展人 杉並区長、三上元 湖西市長(静岡県)、西原茂樹 牧の原市長(静岡県)、笹口孝明 元巻町町長(新潟県)、石井俊雄 長生村村長(千葉県)、上原公子 元国立市長といったみなさんで、それぞれ実績にふさわしい興味ある発言でした。
とりわけ、
桜井南相馬市長は、農業が出来なくなった住民の無念さを理解できない行政・東電に対する怒り、復興には興味なく(鉄道、国道を一向に復旧させる意図がなく、利用出来るのはいまだ県道のみ)八ツ場やTPPや増税にしか興味しめさない政府に強く抗議しています。
井戸川双葉町長はこれまで「なんど聞いても、原発は絶対安全」と答えてきた人たちが、事故後数か月経ても他人行儀で、加害者だという自覚もないと嘆いていました。
政府・官僚・地方行政は全く自覚も意欲も能力もない状況を見るに、
これからは地方自治体(市町区村)がネットワークを作って連携しなければならない
という結論にディスカッションの結果達しました。
メインホール(1000人)のほかの会場はサブメイン2ホール(600人、250人)と小規模の5ホールと50人~150人の会場が10くらいでした。どこも満員で、私はサブメインホールのセッション「原発のない東アジアを目指して」に出席しました。
発言者は日本以外では、中国、韓国、モンゴルでした。福島第一の事故後韓国、中国は安全体制の見直しを行い、原発増設に向かっています。脱原発陣営は東ア
ジアの諸国との連携が必要です。
モンゴルでは市民が情報から遠ざけられている現状があります。
小規模ホールは各参加グループによる持ち込み企画で、私は「福島の今!放射能と戦う有機農業者」に出席しました。二本松市(旧東和町)の有機農家は除草・深耕等によって懸命にセシウムを減らす工夫をして、ある程度成果を上げています。
またシアター、写真展示室、ブースもあり、各地の反原発グループが展示・販
売等をしていました。どこも人がいっぱいで熱気と笑顔にあふれていました。
参加されたかたの手記。
1月14日15日にパシフィコ横浜で行われた脱原発世界会議は、日本各地のさまざまなレベルの脱原発運動が一か所に集まり、そこに世界各国各地の脱・反原発運動・グループに結集してもらう初めての試みでした。それは大成功だったと思います。
プログラムに紹介されている登壇者(メインホールで挨拶した人)だけでも海外から約50人、国内から約50人います。その人たちが初日の開会式、2日目の閉会式で挨拶しました。メインホールには1000人入りますが、いつも満員でした。
私は開会式、閉会式には出席できませんでしたが、一度だけメインホールで行われた集会に出席しました。それは、「首長会議:地域発・原発に頼らない社会のつくりかた」というセッションで、脱原発に取り組んでいる市区村長8人が発言しました。
司会は山本コータローさんでした。桜井勝延 南相馬市長、井戸川克隆 双葉町町長、保坂展人 杉並区長、三上元 湖西市長(静岡県)、西原茂樹 牧の原市長(静岡県)、笹口孝明 元巻町町長(新潟県)、石井俊雄 長生村村長(千葉県)、上原公子 元国立市長といったみなさんで、それぞれ実績にふさわしい興味ある発言でした。
とりわけ、
桜井南相馬市長は、農業が出来なくなった住民の無念さを理解できない行政・東電に対する怒り、復興には興味なく(鉄道、国道を一向に復旧させる意図がなく、利用出来るのはいまだ県道のみ)八ツ場やTPPや増税にしか興味しめさない政府に強く抗議しています。
井戸川双葉町長はこれまで「なんど聞いても、原発は絶対安全」と答えてきた人たちが、事故後数か月経ても他人行儀で、加害者だという自覚もないと嘆いていました。
政府・官僚・地方行政は全く自覚も意欲も能力もない状況を見るに、
これからは地方自治体(市町区村)がネットワークを作って連携しなければならない
という結論にディスカッションの結果達しました。
メインホール(1000人)のほかの会場はサブメイン2ホール(600人、250人)と小規模の5ホールと50人~150人の会場が10くらいでした。どこも満員で、私はサブメインホールのセッション「原発のない東アジアを目指して」に出席しました。
発言者は日本以外では、中国、韓国、モンゴルでした。福島第一の事故後韓国、中国は安全体制の見直しを行い、原発増設に向かっています。脱原発陣営は東ア
ジアの諸国との連携が必要です。
モンゴルでは市民が情報から遠ざけられている現状があります。
小規模ホールは各参加グループによる持ち込み企画で、私は「福島の今!放射能と戦う有機農業者」に出席しました。二本松市(旧東和町)の有機農家は除草・深耕等によって懸命にセシウムを減らす工夫をして、ある程度成果を上げています。
またシアター、写真展示室、ブースもあり、各地の反原発グループが展示・販
売等をしていました。どこも人がいっぱいで熱気と笑顔にあふれていました。
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