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原発に大甘―教科書検定の真相。
テーマ:ブログ
2011/10/14 12:34
原発に大甘―教科書検定の真相。
文科省が安全神話を”強要”
公教育は国民国家と不可分だ。
だから、時の権力の意思と離れられない。
その分、根は「やらせ」より深い。
そうした国家の思惑から自由になるのに近道はない。
ネット世論なるものも、操作される危うさでは同じだ。少数意見に耳をそばだたせ、自ら考えること。それも福島原発事故の教訓としたい。
(東京新聞10月7日『こちら特報部』より抜粋)
小学生になれば、あらゆる子どもが手にする教科書。そこでの記述で原子力発電の安全性を強調し、危険性をそぎ落としていたらどうだろう。
ただ、それが現実だ。
教科書執筆者の証言などから、原発を推進する政府や原子力ムラが教科書に神経をとがらせ、”安全神話”を守ろうとしてきた実態が浮かび上がった。
やらせなど原発の「世論偽装」が焦点になる中、これも同類の問題ではないのか。
○一九八〇年九月、中学校「地理」の教科書を出していた出版社「日本書籍(すでに倒産)」に文部省(当時)の担当者から電話が入った。「科学技術庁(同)
から原発に関する記述にクレームがついた。
自主訂正してもらえないか」この教科書は前年度に検定が終わり、各教育委員会の採択も済んでいた。
修正を求めるのは検定段階が通常で、それ以降に連絡が来るのは異例中の異例だった。
この部分を執筆した東京都の元足立区立東島根中学校教諭の大谷猛夫さん(64)は
「何でこんな遅い時期に言ってくるのか、と不思議で仕方がなかった」と振り返る。
結局、「細かい部分でもめてしょうがない」(大谷さん)と考え、
「放射線もれの危険という問題があり」という記述を
「放射能に対する不安があり」に直した。
「発電所建設予定地では、どこでも住民の強い反対運動がおきている」という部分も、
「住民の反対運動がおきている」という平板な表現に変えた。
大谷さんは
「なぜ指摘を受けたか分からない」と話すが、この年は米スリーマイル島原発事故が起きた翌年。
検定後に記述に気付いた何者かが、無理にでも直させようとしたと推測される。
(略)
大谷さんが体験した”圧力”はこの時だけではない。
八二年度検定の教科書でも」「危険」や「反対運動が」という文言が問題視され、「不安」と「反対運動も」に書き換えざるを得なかった。
(略)
「原発が少ない燃料で多くのエネルギーを生むとか、二酸化炭素(CO2)を出さないとか、それはそれで事実でしょう。でも被ばく労働者が存在したり、放射性廃棄物の処理が簡単にいかないといったことも事実。これからは、マイナス面も含めて原発の実態がきちんと書かれた教科書が出ることを望みます」
例えば、九三年度検定の高校「政治経済」の教科書。
「チェルノブイリ原子力
発電所の事故は、放射能汚染の恐ろしさを人々にあらためて認識させた」という部分について、
「原子力発電の長所と短所の両面に配慮して記述すべきだ」という検定意見が付き、
「さまざまな問題を持つことも否定できない」とトーンダウンさせられた。
「原子炉の解体、放射性廃棄物の管理費用は膨大なもので、発電コストはかなり高いものになる」と記述された二00五年度検定の高校「現代社会」の教科書では、
「コストについての記述が断定的に過ぎる」という検定意見が付いた。
原子力ムラも教科書に目を光らせてきた。
中核の社団法人・日本原子力学会の原子力教育・研究特別専門委員会」(二十二人)は九六年以降、小・中学校、高校の教科書などを検討し、文科省や出版社などに提言している。
(略)
○立正大の浪本勝年教授(教育政策)は「国の政策を是認し、批判的なことを書かないようにしないと合格しないのが、検定制度の現実だ。現場の教師らも加えた第三者委員会で検定をやるなど、開かれた教科書づくりを進める必要がある」
と制度の見直しを求める。
文科省が安全神話を”強要”
公教育は国民国家と不可分だ。
だから、時の権力の意思と離れられない。
その分、根は「やらせ」より深い。
そうした国家の思惑から自由になるのに近道はない。
ネット世論なるものも、操作される危うさでは同じだ。少数意見に耳をそばだたせ、自ら考えること。それも福島原発事故の教訓としたい。
(東京新聞10月7日『こちら特報部』より抜粋)
小学生になれば、あらゆる子どもが手にする教科書。そこでの記述で原子力発電の安全性を強調し、危険性をそぎ落としていたらどうだろう。
ただ、それが現実だ。
教科書執筆者の証言などから、原発を推進する政府や原子力ムラが教科書に神経をとがらせ、”安全神話”を守ろうとしてきた実態が浮かび上がった。
やらせなど原発の「世論偽装」が焦点になる中、これも同類の問題ではないのか。
○一九八〇年九月、中学校「地理」の教科書を出していた出版社「日本書籍(すでに倒産)」に文部省(当時)の担当者から電話が入った。「科学技術庁(同)
から原発に関する記述にクレームがついた。
自主訂正してもらえないか」この教科書は前年度に検定が終わり、各教育委員会の採択も済んでいた。
修正を求めるのは検定段階が通常で、それ以降に連絡が来るのは異例中の異例だった。
この部分を執筆した東京都の元足立区立東島根中学校教諭の大谷猛夫さん(64)は
「何でこんな遅い時期に言ってくるのか、と不思議で仕方がなかった」と振り返る。
結局、「細かい部分でもめてしょうがない」(大谷さん)と考え、
「放射線もれの危険という問題があり」という記述を
「放射能に対する不安があり」に直した。
「発電所建設予定地では、どこでも住民の強い反対運動がおきている」という部分も、
「住民の反対運動がおきている」という平板な表現に変えた。
大谷さんは
「なぜ指摘を受けたか分からない」と話すが、この年は米スリーマイル島原発事故が起きた翌年。
検定後に記述に気付いた何者かが、無理にでも直させようとしたと推測される。
(略)
大谷さんが体験した”圧力”はこの時だけではない。
八二年度検定の教科書でも」「危険」や「反対運動が」という文言が問題視され、「不安」と「反対運動も」に書き換えざるを得なかった。
(略)
「原発が少ない燃料で多くのエネルギーを生むとか、二酸化炭素(CO2)を出さないとか、それはそれで事実でしょう。でも被ばく労働者が存在したり、放射性廃棄物の処理が簡単にいかないといったことも事実。これからは、マイナス面も含めて原発の実態がきちんと書かれた教科書が出ることを望みます」
例えば、九三年度検定の高校「政治経済」の教科書。
「チェルノブイリ原子力
発電所の事故は、放射能汚染の恐ろしさを人々にあらためて認識させた」という部分について、
「原子力発電の長所と短所の両面に配慮して記述すべきだ」という検定意見が付き、
「さまざまな問題を持つことも否定できない」とトーンダウンさせられた。
「原子炉の解体、放射性廃棄物の管理費用は膨大なもので、発電コストはかなり高いものになる」と記述された二00五年度検定の高校「現代社会」の教科書では、
「コストについての記述が断定的に過ぎる」という検定意見が付いた。
原子力ムラも教科書に目を光らせてきた。
中核の社団法人・日本原子力学会の原子力教育・研究特別専門委員会」(二十二人)は九六年以降、小・中学校、高校の教科書などを検討し、文科省や出版社などに提言している。
(略)
○立正大の浪本勝年教授(教育政策)は「国の政策を是認し、批判的なことを書かないようにしないと合格しないのが、検定制度の現実だ。現場の教師らも加えた第三者委員会で検定をやるなど、開かれた教科書づくりを進める必要がある」
と制度の見直しを求める。
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