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原発立地を進めた自分の「最後の責任」

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九州電力が建設した、全ての原子力発電所に関わり、地元対策の最前線に立った元社員が、自問の日々を送っている。
山本太郎さん SLAAP訴訟
九州電力で原発を作った代表的な社員が、3/11原発惨事を見て自問して、今「脱原発」へ変わった。
   
原発が緑豊かな街作りに支障を来すようになった、と実感。


「原子力は日本の命綱」と信じていたが、東京電力福島第一原発の事故は、仕事に捧げた28年間の自負を根底から揺さぶった。
一住民として「脱原発」に向け動き出した。
鹿児島県薩摩川内市の川内原発から6キロの峰山地区に住む徳田勝章さん(73)。

○1956年入社。76年以降、発電所の立地業務に携わってきた。
住民への説明や理解取り付けを担う「立地屋」一筋だ。97年に川内原発次長(副所長)で定年を迎え、2004年まで嘱託社員として3号機増設計画が軌道に乗るのを見届けた。

反対派の元住民が当時を振り返る。各種集会に現れ、社内の「技術屋」から得た知識を元に、とうとうと安全性を説く「九電の顔」。
それが徳田さんだった。安全神話を信じていた。

「スリーマイルやチェルノブイリのような事故は日本では起きない」と確信。
だが、3月11日の震災と原発事故で、あっさり覆された。

○「反対派が言っていたことが、現実に起きた」7月には九電の「やらせメール」問題が発覚。

官民挙げての世論操作を「小手先のやり方だ。住民目線に立ち、不安に向き合う姿勢がない」と批判。

自身が自治組織の長を務める峰山地区は緑豊かな田園地帯。
自然環境の魅力で定住促進を目指すが、福島の事故後、土地取得寸前だった2家族が心変わりしたという。

 「(原発が)街づくりに支障を来たすようになった」と徳田さは嘆く。
事故直後、安全対策の徹底や3号機増設「凍結」を1人で要望書にまとめ、原発10キロ圏の自治組織の賛同を得て市長に提出した。
 「再生可能エネルギーへの切り替えを、お題目でなく、確実に進めなければ」。

 それを言い続けることが、原発立地を進めた自分の「最後の責任」だと感じている。


朝日新聞西日本版(2011年9月24日)30面に掲載を要約
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