マジかよ。もうやだこの犬(T_T)part4

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自分ではどうにも処理しきれない不測の事態が何の前触れもなく到来するとき、どのように人はまずふるまえばよいのか?という問いに、わたしたちはすでにいくつもの答えを用意しているのだ、というような断言めいた発言はなかなかの自信家であってもたいていの場合はできなくて、わたし自身もそのできない人たちに属する人であると思うので、唐突に何かが起きても、もちろんあらかじめこうしなきゃいけないというのが頭の中にはあるんだけど、それに対応することが現にとても難しくてできないことが多々あるのです。頭じゃなくて、とにかく血肉化しなきゃいけない。わたしにとって、わたしが出会ったあの野良犬との甘美な出会いと体験は、あまりにも唐突で予想もできないものでした。さて、わたしに語る言葉はまだあるのでしょうか。もう語ることすらできないんじゃないでしょうか。いやできるのです。わたしはあえていいたいのです。ここでいささか唐突に言い訳めいたセリフをかきつづるとするなら、わたしにとって今日こうやって今日のまとめのような文章というかセリフを書こうだなんて、時間を費やそうだなんて、いわば予定外の行動であって、わたしの当初の目的としては、わたしの頭の中というか心の中なんですが、その心の中にあるなにかに賛意を表明できないのに、そのなにかにはひかれるものがあって口に出してみたいという誘惑にかられてこう書き綴ってしまったというわけです。わたしに、はっとさせてくれるものが、必ずこうやって書き綴るときに文章にひっぱられて、外に現れると思うのです。露見する。かくれていたものがさえぎられていたものが外に出てきて・・・・ということをわたしは期待した。しかしまだ心はなかなかついては来ない。ですから、語る言葉がないと今先ほどポロっと口をついて出てしまったのです。まだまだ先は長いかもしれません。しかし私は以前スズメの涙ほどに思っていた言葉そのものに期待をしているのです。信じているのです。わたしにとってふとした瞬間に自分のうちから出てくる言葉というやつがスズメの涙のように見えてしまうだなんて、あまりにもネガティヴにすぎるので、言葉の言い方を変えてみたいのです。それは雀の涙ではなく、小鳥さんということにしたい。すべては小鳥さんなのです。いや子犬さんでもいいですね。そうですね。これからは子犬さんと呼ぶことにします。けどこれではあまりに電波めいているので、スモールドッグと呼ぶことにします。しかしそれでは英語にしただけなのでどこか納得がいきません。希望・・・でいいでしょうか?いや、できすぎている。ヒューッってのはどうでしょう?
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マジかよ。もうやだこの犬(T_T)part3

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つくばわんわんランドから大きく話がそれてしまいましたが、実は老犬ホームも含めて、またつくば市全体を含めてなのですが、つくばワンワンランドという概念が意味を持つのは実はその瞬間だったりするのです。さまざまな迂回がわたしたちには必要であります。というのもまさに世界の対極に位置する何かかから、まったき本質に向って長い旅程であるところの時間を私たちはすごす必要があるからです。あの野良犬がきわめて個性的な鳴き声ときわめて個性的なふるまいを行ったことをわたしは忘れることができません。わたしはそのふるまいに耐えたし、耐えた姿勢からさらに甘美な感情もわたしに沸き起こったし、決して意味がなかったなんて、意味のない話だたなんて、私は口にすることができません。そこは強く訴えたいところです。わたしは深夜に高速道路をドライブをするときに、あまりの風景のつまらなさにいささかあきれ返った気分とともに眠気をもよおし交通の妨げであるところの交通事故に近いものを、わたしが起こしてしまうのではないかという瞬間があったなんてことは1度もなかったのですが、とにかくそういう気分をもよおしたのは風景がつまらないせいでありました。しかし風景の中にネオンサインはあるのです。ネオンサインであるところの電気サインはなにを訴えているのでしょう。ここにお店があることを訴えるためにあかりをともしているのであります。しかし私が訴えたいことはそんな金銭やビジネスのことではなくもっと心そのものに近いことなのです。わたしの心はつくばわんわんランドによって大きく動かされ、そしてあの野良犬によって、言い知れない甘美な恍惚へと向かっていったのです。

マジかよ。もうやだこの犬(T_T)part2

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もちろん、その種の野良犬の蔓延には、わたし自身は一切関与はしていないのは誰しもが知っているところであると思うのですが、しかしながら、実は違うのではないか。わたしも実は関与しているのではないかという考えが私の頭の中を素早くよぎっていったのです。これに対してわたしはどうふるまえばよかったのでしょうか。犬について何も考えずのうのうと生きてきて、なおかつ自分の欲望を満たすのみに生きてきた人生を激しく自覚した。とそこまで言うとかなり大げさであって、考えすぎじゃないか?といつもわたしといっしょにカフェに訪れていた友人が、そういうことをいうのです。たかが犬だと。わたしはカチンときました。その言い草にです。彼はこういいました。犬なるものの価値の自明性ははなから疑う必要がないと。これは確かに驚くべき事態である。しかし犬などよりわたしたちがあしたの天気のほうが大事だよね、と。わたしは野良犬にまた後日あいました。彼の体力は限界すれすれでした。わたしはかわいそうになり部屋にあげてあげたのです。そしたら私の大事にしていたソファーにフンをしたというわけなのです。

マジかよ。もうやだこの犬(T_T)

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つくばわんわんランドと老犬ホームという言葉を使ったということは、その使用が必ずしも、茨城県つくば市の観光スポットとしての評判を私があえてブログまで作って主張したいというわけではないのです。わたしが夏目漱石のわたしは猫であるを読み進めると同時に、ポールオースターのティンブクトゥを読んでいた時にふと、当時わたしの友人で会った人とと、あのつくばの僻地にあるつくばわんわんランドに行ったことを思い出さずにはいられなかったということなのです。それは、わたしが人生の広大無辺な暗闇に飲み込まれそうになる直前のことだった。犬のショーはどこか残酷さに欠けるきらいがあって、もう少し奇天烈な要素がほしいところだなんて隣にいる友人がそうい言ってたのだが、わたしはなんだか鼻白んでいた。ひととおりまわって家に帰ってくると近所の野良犬がいて可愛いからエサをあげたら、毎日うちの部屋に来た。それはいつも春日3丁目の夕日が沈むころだった。調子にのってきた彼は私の白い服に泥を撥ねつけて、この記事のタイトルどおりのセリフを私が発したというところが、わたしの真実なる意味での犬への憧れのはじまりだったというわけなんです。

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つくばわんわんランドにあこがれて!

つくばワンワンランドに憧れて、犬飼の人生を送りたいのだが、敷地がなくてyoutubeを見ているだけの人生のわたし。

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